2011年3月11日に起きたことは、長く語り継がれるだろう。
いつものようにブログを読みながら、事務所で遅い昼食をすませた。
じわっと振動が来た。私は地震の初期微動を感じるので、いつもその時、退路の確保をする。
エレベーターホールへ続くドアを開けると、ゆらり。
遠くの地震と思った途端、大揺れが来た。
6階の事務所は、横揺れだけでなく、大海に浮かぶ小舟のように、うねって揺れる。
やや収まりかけると、またひどくなる。なんどもなんども、繰り返す。
一体どれほどの時間が経ったのか?
ようやくおさまり、やれやれと思ったら、約束していた人が来た。
揺れた時は歩いてたので、深刻さを理解できず、キョトンとしている。
6階でこの揺れでは、最上階の人が心配だ。様子を見に行こうと二人で上がった。
10階に着いた途端、また大揺れ!
両足を踏ん張り、インターフォンを押して「だ・い・じょ・ぶ・で・す・かー?!」の呼び掛けに、あまりの揺れに相手は出てこない。
ひとしきり揺れてやや静まった時、出てきた人は、ヘルメット着用。
「大丈夫ですか?」は、私のことだ。
「危ないから部屋に戻りなさい。」と諭され、非常階段で6階へ。
それから何度も余震があり、退路確保に全部開け放し、コートを着て働いていた。
なんだか軽い船酔いのような状態だ。
バス以外の東京の交通は全て止まった。
8時過ぎに徒歩帰宅を決意。自宅はそれほど遠くない。1時間で帰れるだろう。
ちょうど運よく、この日はジーンズにブーツ。右のポッケに水のペットボトル、左のポッケにバケットを入れ、これで途中、万が一の余震で足を止められても大丈夫。
帰路はもう人があふれていた。
ヘルメットをかぶり、背中に非常用持出袋を背負い、二列縦隊で歩いているグループもいる。きっと災害時のために、訓練していたのだろう。
なんとなくはしゃいだ雰囲気が漂っている。元気を出そうとしているのだ。
そして予定通り、1時間後に無事帰宅。
愛する猫、Lady Anne が、最高のお出迎えをしてくれた。このしっかり者は絶対大丈夫と信じていたが、すりすりの姿に安心した。

テレビをつけると、信じられないほどの災害を伝えている。
神戸の時のように、日を追うごとに被災者の数は増えるだろう。
不気味なのは、治まらない原発だ。
この数日で、皆なんとなく原子力発電に詳しくなったような気がしている。導入する前に、誰もがこのくらいの知識は必要だったのに。
ここに載せた写真は、我が家の冬のベランダを飾る花々。2番目の花は、先輩が母の一周忌を覚えてくださって、お送りくださったもの。なんとなく白い花が集まってしまった。
ほんのちょっとだが、この花を捧げたい。犠牲になった方々に。
寒さに震える被災者には、どうしてあげたらいいのだろう。
私のできる小さなこと。暖房を止めたり、洗濯を手洗いにしたり、節電に勤めている。そんなことしかできないけれど、一人ひとりの少しが、大きな結果になりますように。
敗戦後、おそらく一番大きな国難と思う。皆が助け合わなくては。
驚いたのは、世界中の知り合いから、お見舞いメールが来たことだ。
世界が見守ってくれる。励ましてくれる。一緒に頑張ろう。
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