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無人島へ持っていくCD―その2

友人がCDを貸してくれた。新進気鋭のチェリスト、ジャン・ギアン・ケラス(と読むのだろうか?Jean-Guihen Queyras)のバッハ、無伴奏チェロ組曲。

716 この前はビルスマの同じ曲にいたく感動したのだが、ケラスのみずみずしい演奏もいい。つやっぽい、若々しい音色だ。

バッハを自由に感じ取り、卓越した技能で弾きこなしている。

説得力と存在感をもった演奏だ。

ビルスマの楽器と違うのだろう。良く鳴って響く。CDの説明には1696年ジョフレド・カッパ(Gioffredo Cappa)作、とある。

深みにはまった私は、持っている同じ曲のCDをつぎつぎ聞いた。

この曲をCDにしようという人は、誰も素晴らしい演奏家だ。よほどの自信がなければ、取り組めない。技能はもう甲乙つけがたいのだ。

では、何が違うか?私ごときには分からない、と言いたくなる。でもでも、よーく聞いてみよう。

すると4小節、8小節、16小節の中で、どこに向かって中心を持っていくか、それが違うような気がする。

話をするとき、一つの文章の、どこに言いたいことがあるか、そこを強調して話す。それと同じこと。

もちろん楽典上、大事にしなければいけない音がある。演奏家として、それははずせない。だが、各人によって、大事にする音、こだわっている音が、微妙に違うように思う。

波のうねりのような曲なので、どの演奏家も同じように「寄せては返す」なのだが、「どこ」を、言い換えれば「どの音をどう鳴らす・響かせる」、そこから逆説的に全体が出来上がってくる。

これ以上はお粗末な再生機では、差を感じられない。やはり生を聞いてみたいものだ。アンコールでは何度か聞いたことがあるが、全編を聞いたことは一度もない。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

あれ、昨夜拝読したときとは少し変わったような?

楽譜の読みの問題なのでしょうか。
とにかく設計図として考えると、ずいぶんと不完全。
と、いいますかすべてが相対的な「指示」。
あれで、よくも大きな構造物ができるものと
素人はいつも感心するばかりです。

そのうえで、演奏者の解釈はやはり細部に現れますよね。
その細部(=部分)と全体の調和がしっかりと、とれている。
これが、たぶん名演奏の基本条件なのでしょう。
ごく普通の耳で聞いても、
その関係がしっかりしていると、
心地よく、美しく、意味あるものとして聞こえてくるのかな?
と思っています。

ワタクシ、生では、とてもそこまで聞き分ける耳を持ってません。
CDやレコードを何度も聞いて、やっと、、、これが実感。
プロの演奏家や良い評論家は、その耳がまるで違うのでしょうね〜e-g-g

投稿: e-g-g | 2007年11月 7日 (水) 11時50分

ananさん こんにちは。
e-g-gさんが書いておられるように第1稿とは変わって
いますね。

ケラスはビルスマと一緒にバッハを研究したそうですが
その経験が演奏にも生きているようで、ビルスマの最初
の録音と印象が似ています。

演奏に我々が共感するのは、演奏の呼吸が合うかどうか、
ではないかという気がします。つまり、どこで息を吸い、
どこで吐き出すか。また、呼吸をとめ間をとり、また吐き出す。
ananさんのいわれるイントネーションにも通じるように思います。
生の演奏で感銘を受けることが多いのも、会場の空気を
ともに共有し、呼吸しているせいでしょうか。

バッハのように明確な指示が記載されていない楽曲では
特にそれを感じます。その意味では、古楽器全盛の現在
では、忘れられかけている、カール・リヒターの演奏に
惹かれます。マタイ受難曲での間の取り方など絶品でした。

投稿: kita | 2007年11月 7日 (水) 13時44分

e-g-gさん、早速ありがとうございます。はい、少し表現を変えました。文章にするのは難しいです。

私はe-g-g-さんと逆に、CDやレコードで聴き分ける力はないように思います。もちろん良い再生機を持っていないこともあります。が、生は演奏者の息遣いや発するオーラを、じかに感じることができます。ホールの演奏を感じるのは、耳だけではない。五感を通じて、演奏者と呼吸のやり取りをしているような気がするのです。たとえ耳がプロの演奏家や評論家のようでなくても、五感を利用して、感じることができる。

ホールでの良い演奏とは、絶対的なものでなく、その時の自分の心のありようとも、かかわっているように思います。同じものを違うように感じる、その違いを一緒に聞いた人と話し合う、それを通じて、お互いを理解する。音楽鑑賞の楽しさは、そういうところにもあるように思います。

投稿: anan | 2007年11月 7日 (水) 13時52分

kitaさん、コメントありがとうございます。e-g-gさん宛のお返事を書いている間にkitaさんのコメントが入ったようです。書き終わって拝読したところ、私の返事と同じようなことが書かれていて、興味深かったです。またご意見寄せてください。

投稿: anan | 2007年11月 7日 (水) 14時02分

再度です。

仰るように、生はもちろん五感を総動員しての体験ですね。
少しくらい間違えても、ときには音を外しても、
呼吸が合えば、それはそれで良い演奏会です。

ただ、(けっして反論じゃありませんよ)、
さて、どこがどう良かった(悪かった)のか、
思い出そうとしても、私の耳はそれをきちんと覚えていません。
あぁ良かった!から先へ進まないことが多いのですね。
まぁ、たんに経験不足とも言えますけれど。

三年ほど前に聞いたハーディングのベートーヴェン、
ものすごく感動しましたけれど、細部は曖昧模糊、、、
後日、テレビの録画を見て、なーるほど、と思ったり。

で、たとえばひとつの動機をどんな風に展開しているのか、
そのときオーケストラの各パートは、どんな塩梅なのか、、、
このあたりまで瞬時に聞き分ける力はありません。
よく評論などを読んでいると、
よくも、まぁここまで聞き分けるもの!
と思うこともありますが、
あれは、たぶん、事前想定の確認という面もあるのでしょうね。

再生音楽は生とはまったく別の体験でしょう。
えっ?と思ったら同じところを何度でも聞き返せる。
こんなことはCDがあってこそ、ですからね。
でも、それができるから素人にも分かることがある、
とも言えると思いますよ。
すごい装置です。

展覧会で人混みに揉まれながら見る名画も、
下手をすると画集の方が良く分かったり、、、
 いや、これはちょっと危険な言い方ですね。
 どんなに印刷技術が進歩しても、
 生の絵の色彩を100%再現することなど不可能ですから。
 それを差し引いての話です。

生と録音の違い、こんなことを考えると、
スタジオ録音とコンサートで違った評価の生まれる
演奏、演奏家がいるのも、なんとなく分かるような気がします。

というわけで、私はけっして再生音楽信奉者ではございません。
部分と全体といった方向に話を持っていくと、
私の場合、再生機がないとコマッタな、となるわけです。

投稿: e-g-g | 2007年11月 7日 (水) 15時13分

e-g-gさん、丁寧な再度のご投稿ありがとうございます。e-g-gさんが、真摯に音楽と向き合っておられることが、よく分かりました。大好きで、大事に思っておられるのですね

そもそも私がクラシックを聴くようになったのは、体調を崩して、TVやアンプ、スピーカーを通した音がすっかり駄目になったのが、きっかけです。そのころは友人が吹き込んでくれたテープを小さな音でかけたり(小さい音なら、かろうじて大丈夫でした。)、違う友人が、仕事柄たくさん送られてくるコンサートの切符を横流ししてくれたので、聞きに行っていました。体調の悪い時なので、集中して聴くこともできず、ただホールの音に、身も心も委ね、ゆったりとしていたのです。

今でも基本は「ぼーっと聴く」スタンスで、とても音楽について書くほどの器量はありません。が、と知りつつ書いてしまったのは、この曲が命の調べと思っているからです。どんな時でも、聴くと本当に慰められ、明日の夜明けを信じられるようになるのです。

投稿: anan | 2007年11月 8日 (木) 19時31分

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