文化・芸術

2015年 歌舞伎座初日

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新年の遊び始めは2日の歌舞伎座初日。

夜の部を楽しんだ。演目は以下のごとし。

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「番長皿屋敷」は大正5年初演の岡本綺堂作品。江戸時代に書かれた亡霊が出る皿屋敷ではない。

旗本奴、青山播磨に恋いこがれる腰元のお菊が、播磨の心を測りかね、青山家家宝の皿を割り、
本心を知ろうとする。播磨は過ちで皿を割ったと思い、一旦はお菊を許すが、
自らの心を確かめるためと知り、一途な自分を疑ったお菊を許せないと、
お手打ちにしてしまう、という物語。

配役は吉右衛門の青山播磨、芝雀のお菊。

二人の心情がよく表現されていたと思うが、吉右衛門の立ち居振る舞いがやや心配。
膝を悪くしているのではないか?

続いては「女暫」。お正月にふさわしい華やかな演目だ。

大勢の役者がそれぞれの扮装で芸を競う。

しかし主演の玉三郎の色気、なお抜きん出て、ファンの一人として、心から嬉しかった。

というのも、ここ数年、役者より演出家としての道に励んでいるように、感じたからだ。

喜びと同時に、玉三郎を食うような若いもんが出てきてくれるのを、一方では望んでいるのだが。

最後は謡曲で有名な「黒塚」。お能で観たことはあるが、歌舞伎では初めて。

猿之助の鬼女、勘九郎の阿闍梨祐慶、男女蔵、門之助の山伏といった配役。

実は猿之助を観るのは初めてである。楽しみにしていたが、期待を上回る好演。

立ち姿、歩き姿、舞、表情、どれをとっても素晴らしい。ぞくぞくしてしまった。

昨年は気が乗らず、正月の観劇を諦めたが、やはり毎年来るべきと、思わせるに十分。

しかしながら、ここ数年で欠けた役者達の穴を埋めるには、全体として未だ力不足。

もう少し辛抱して、若いもんの成長を見守りたい。

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今年の初歌舞伎

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毎年恒例1月2日の歌舞伎見物だが、今年はお休みしてしまった。

大好きな役者が皆、病気か亡くなったかで、いまいち気分が乗らない。

とはいえ、だんだんむずむずして来た。

2月は歌舞伎座で若手の花形歌舞伎がある。

杮葺落公演で見た若手役者には、まばゆさがあった。

よしこれを観ようと、重い腰を上げた次第。

こちらへのご報告が遅れたが、2月19日夜の部、花道近くに席が取れた。

出し物は「青砥稿花紅彩画」すなわち、白浪五人男の通し狂言。

通し狂言なので、全部の場面を観る事が出来、初めて物語のすべてが腑に落ちた。

主な配役は以下のごとし。

弁天小僧菊之助: 菊之助
南郷力丸: 松緑
忠信利平: 亀三郎
赤星十三郎: 七之助
日本駄右衛門: 染五郎

杮葺落公演では、すでに同じ演目を彼らの親世代が演じている。

ただし通し狂言ではなく、おなじみ呉服の万引きを騙る浜松屋の場と、稲瀬川勢揃いの場以降だ。

芸の細かい出来不出来はともかく、この5人が花道に勢揃いしたところは、もうおばさん涙の美しさ。

肌が、声が、立ち姿も身のこなしも、若衆のオーラいっぱいで、口を開けて見ほれてしまった。

この出し物は、舞台の華やかさもさることながら、七五調の台詞が耳に心地よい。

この調子の良さも魅力のひとつと思う。

さて菊五郎・菊之助の親子対決だが、浜松屋の場は菊五郎、極楽寺屋根の立ち回りは菊之助に軍配を上げたい。

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レオナルド・ダヴィンチ 「最後の晩餐」

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ミラノの旅の印象として、ミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」に言及すれば、ダヴィンチの「最後の晩餐」にふれないわけにはいかない。

この壁画は、1495年〜1498年にかけて、ミラノ郊外、サンタマリア・デッレ・グラッチエ修道院の食堂に描かれた。

題材は聖書にある最後の晩餐。キリストが処刑される前、弟子達とともに最後の夕食をともにしたお話を描いたもの。

当時は、壁画といえばフレスコ画で描かれるのが普通であった。

しかし、この技法には多くの制約がある。

重ね塗りによる微妙な色の表現が出来ない、乾くまでの8時間程度で絵を完成させねばならぬ、など。

これを嫌ったダヴィンチは、テンペラ画と言う手法を用いた。

この技法はキャンバスや木の上に描くには適している。

が一方、温度や湿気に弱いので、漆喰の上に描くには難がある。

ダヴィンチは、この技法を改良して作画に臨んだが、見事に失敗。

完成直後から剥落が始まったという。

この絵の不幸はそれだけにとどまらない。

17世紀には、絵の下部中央に、台所への扉が作られてしまった。

当然この部分の絵は失われてしまう。

その後、食堂は馬小屋に使われたり、洪水にあったりし、絵はますます傷んだ。

これを直そうと、度重なる不十分な修復が、さらなる剥離に繋がる。

かくして、壁画はダヴィンチの描いたオリジナルとは、随分違うものになってしまう。

おまけに、第2時世界大戦中には、アメリカ軍の大空爆にもあった。

この空爆は、スカラ座をはじめ、ミラノ市内の半分近くの建物が全壊するほどの規模。

土嚢と組まれた足場で保護されてはいたとはいえ、この壁画が残ったのは、奇跡と言える。

1973年に私が初めて訪れた時は、損傷を防ぐため、著しく照明が落とされていた。

壁には、ところどころに、絵具のあとが見られる程度。全体がどんな絵なのか、よく分からなかった。

その後、何度か訪れたのだが、いつも修復工事中で、絵の前で修復技術者が作業している状態。

今回はじめて、前をさえぎるものなく、全体の絵を見ることが出来た。

この絵は遠近感を表すために、一点透視図法が用いられている。

具体的には、キリストの右こめかみに釘を打ち、そこに糸を張って四方へ広げ、天井、床、壁などの縁を描いたそうだ。

すなわち、全ての線がキリストを中心に広がっていき、同時に、キリストに向かって行く。

この効果か、しばらく見ていると、キリストのオーラが私に向かって来て、自分がそれに包まれ、キリストに引き寄せられ、抱かれるような、不思議な気持ちになった。

今まで何度も見たが、今回初めて、この絵の意味が分かったような気がする。

これ以上、この天才の傑作について書くことは、野暮と言えよう。

まずは、なんとかチャンスを作り、実物を見ることをお勧めする。

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ミケランジェロ 未完のピエタ 「ロンダニーニのピエタ」

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7月のミュンヘン・ミラノ旅行の後、多事多難が続き、すっかりご無沙汰してしまった。

いろいろ書きたいことはあるが、今日は自分の心を鎮めるために、ミラノにあるミケランジェロの「ロンダニーニのピエタ」をご紹介しよう。

ピエタとは、磔刑に処されたのちに十字架から降ろされたイエス・キリストと、その亡骸を腕に抱く聖母マリアをモチーフとする宗教画や彫刻などのことで、多くの画家、彫刻家がその腕を競っている。

なかでもミケランジェロ21歳の作品、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にあるピエタは、数多の作品のうち、最高傑作中の傑作と評判高い。

このピエタをご覧になった方は多いと思う。

私が初めて見たときは、そのままで飾られており、若きミケランジェロの瑞々しい匠の技、作品の質感を生で感じることが出来た。

残念ながら1972年に精神を病んだ者により叩き壊され、修復後は防弾ガラスのパネルによって保護されている。

ミケランジェロは生涯で4つのピエタを製作したと言われているが、完成したのはバチカンにあるピエタのみ。

それ以外は全部未完成。このうちフィレンツェに2作品あるが、一つは本人が途中で破壊、もう一つは贋作の疑いがある。

ミラノにあるピエタは、晩年腰が曲がり、目も不自由になったミケランジェロが、病に倒れる前日まで取り組んだもの。

このピエタは、現在ミラノ、スフォルツァ城の中に展示されている。最初に置かれていた邸宅の名から「ロンダニーニのピエタ」と呼ばれる。

ピエタはイエスの亡骸を聖母マリアが抱く形が一般的だが、この作品はマリアがイエスを抱き起こそうとしている。

ところが、しばらく見つめていると、マリアが抱き起こすのではなく、イエスがマリアを背におぶい、一緒に天上へ昇っていくように見えるのだ。同時に天から呼び寄せる、光と力を感じる。

この不思議なピエタをもう一度見たいと、今回再訪した次第。

晩年のミケランジェロの透き通った感性が、この彫刻に映し出され、見ている自分の心も浄化されるようだ。

あたりは静謐の空気漂い、いつまでもいつまでも、佇んでいたかった。

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歌舞伎三昧 歌舞伎座杮葺落し -その2-

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明日からの旅行出発前に、この3ヶ月間に7回も通った、歌舞伎座杮葺落しのことを書くつもりだった。

残念、時間切れ!

だがほんのちょっと書こう。

まず小屋について。

新歌舞伎座は、見かけは以前と全く同じ。しかし照明、音が全然違う。素晴らしいのだ。

予算少々なので、立ち見を含めいろいろな場所で観たが、ほぼどこで観ても大丈夫。

左側の3階席だけは、花道が見えないところがあるので、要注意。

役者について。

皆一丸となって、一生懸命やっていたが、ちょうど端境期のような気がする。

しかしベテランは気力を振り絞って芸を出し尽くし、若者にはこれから良くなる萌芽を感じた。

一人一人へのコメントを書こうと思ったが、もう時間がない。

ただ一つ、ここにいるはずの人が写真になって、3階の廊下に飾られていたのを、本当に残念に思った。

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国立新美術館「貴婦人と一角獣」展

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初めて「貴婦人と一角獣」のタピスリーのことを知ったのは、いつのことだろう。

おそらく30年以上前と思われる。

日経新聞の日曜版、美術特集で取り上げられていて、当時としては出色の綺麗な色刷り紙面だった。

このタピスリーは六面の連作で、人間の五感「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」を表すと言われる五面と、「我が唯一の望み」と書かれた最後の一面からなる。

この最後の一面は解釈が分かれ、「愛」「知性」「結婚」などなど、未だに喧々諤々なのである。

描かれているのは、貴婦人はもとより、貴婦人のために天幕を持ち上げ、家紋のついた旗を持ち、ご主人様を見つめる一角獣。

その眼差しから、ご主人様に対する信頼、尊敬、忠誠が伺われる。

主人公の貴婦人よりも、一角獣の愛らしさと、まわりを彩る数々の動物と花の色合いの美しさに、強く心を引かれた。

いったいどんなストーリーがこの中に隠されているのか?

ミステリアスな最後の一面が、いっそう興味を引く。

いつか本物を見たいと、その時強く思ったものだ。

とはいえ、実際に見たのは、それから20年以上経ってから。

パリのクリュニー中世美術館にあることを知ったが、なかなか訪れる機会がない。

ある時、たまたま一人でパリに行く用事があり、この機会をおいてないと決心し、無理やり時間を作る。

実際に見るタピスリーは、退色を防ぐため、非常に暗い照明の中で、息をひそめて佇んでいた。

長年恋いこがれた実物を前に、私は胸が高鳴り、冷静な鑑賞が出来ない。

しかも暗さから、全体像がつかみにくかった。

それでも時を超え、本物に会えた喜びで、帰り道は小躍りしながらホテルへ。

それからもう一度、たまたま乗り継ぎでパリに一泊した時、一角獣に会いたくて、再訪した。

このときは、少し落ち着いて鑑賞できたように思う。

美術館も前より整えられていた。

暗さは相変わらずだが、英語の説明が付け加えられ、また土産物を売るショップもある。

残念ながら、その時は換算レートが悪く、欲しい物は高くて何も買えない。

ようやく、一角獣とライオン、どちらも貴婦人に使える従者だが、この2枚のゴブラン織りの布を買った。

帰国後、裏表に2枚をはぎ合わせ、クッションカバーに仕立てた次第。

その作品が一枚目と以下の写真。私の宝物の一つだ。

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今回のタピスリー来日には、大変驚いた。

あれほど大事な物を、他国に貸し出すはずはないと思っていたのだ。

説明を読めば、「中世美術館の改装に伴い」とのこと。なるほどそれなら分からないまでもない。

せっかく日本に来たのだから、もう一度会いたいと、六本木の国立新美術館を訪れた。

すると、パリの展示と違い、照明がはるかに明るく、見やすい。

想像するにLEDなどを駆使し、タピスリーを傷つけない、明るい照明の工夫があるのだろう。

この技術なくして、フランスが貸し出すはずはない。

パリの中世美術館改修工事も、日本の技術が一役担っているのかもしれない。

そのつながりから、今回の来日が実現した可能性もある。

この照明のおかけで、過去2回見た時に味わえなかった、微細な美しさを堪能できた。

貴婦人の衣装の一部、おそらく絹を使った部分と思うが、光り輝き浮き上がり、たいへん立体的。

また、一角獣のたてがみのつややかなこと、つぶらな瞳に長いまつげ。

その他、ふわふわなシーズー犬の首回りの毛や、周りを取り巻く小動物の生き生きとしたこと。

背景の果実、花々は、匂たち香りが漂うようだ。

まだ見ていない方、また以前にパリで見た方も、今回の展示は見逃せない。

7月15日までなので、あと3週間ほど。是非お出かけになるとよろしいと思う。

(その後は7月27日~10月20日まで大阪中之島、国立国際美術館で展示。公式ブログはこちらから: http://www.lady-unicorn.jp/ )


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待・っ・て・ま・し・た! 歌舞伎座杮葺落し

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平成25年4月2日、3年の月日を経て、新歌舞伎座が新築相成り、いよいよ歌舞伎ファン待望の柿屋葺落とし公演初日を迎えた。

年に1、2回、主にお正月公演を観劇していた私は、それほどのファンというわけではない。

が、この公演は自分の人生の中でも、そうは見られぬ歌舞伎役者勢揃い。

丁々発止の舞台になるに違いない、と読んだ。

なんとか初日を見たい!この思いでいろいろ考えたが、それほどの奥の手があるわけではない。

結局、売り出し時間の時報とともに高鳴る胸をおさえ、切符購入のサイトに入り、見事ゲットした次第。

そういうわけで、大した自由はない。

11時開演の第1部は、先行予約のため、その段階ですでに売り切れ。第2部の切符を購入した。

第2部は「白浪五人男」“浜松屋店先の場より滑川土橋の場まで”と通称「将門」の「忍寄恋曲者(しのびよるこいはくせもの)」

さあ当日、いったい誰の涙雨か、結構な雨足だがひるむことなく地下鉄で東銀座駅へ。

かねて聞いていたように、地下鉄より歌舞伎座地下階へ入れ、そこは歌舞伎土産物屋が並ぶ。

時間にそれほどの余裕なく、ここで遊んでいられない。

エスカレーターをあがり、いったん歌舞伎座の正面に出る。

正面入り口を眺めてから入場という仕組みだ。

中に入れば、そこは昔と変わらぬたたずまい。

もちろんいろいろ改善されているのだが、風情は昔のままなのである。

驚くのはこの雨の中、美術館に展示したいような和服をお召しの方が多いこと。

この風景を見るのも、歌舞伎座の楽しみなのだ。

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さて、上手側の桟敷席を見れば、綺麗所が正装で居並ぶ。

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幕間には場内を歩き、彩りを添えたのだ。

舞台はと言えば、もうただ華やかの一言。

観客も興奮押さえられず、一人が何か言えば拍手、見栄を切れば拍手で、大騒ぎ。

ただ率直に余分なことを申せば、やはり端境期との感はいなめない。

全員一生懸命なのだが、大事な役を張る役者達は、足下、声にやや老いの陰が。

若い役者達は輝いているのだが、まだもう一皮むける余地があるように思う。

これは初日の第2部だけを見た感想なので、第1部、第3部を見た方の感想とは違うだろうし、落の頃にはもまれた味が出てくるのかもしれない。

ああそれとも、私が待ちわびていたために、高望みをしているのかもしれない。

こんなことを言っても、楽しかったことは間違いない。

格別に光っていたのは、玉三郎。

真っ暗闇の中、花道のスッポンから傾城姿でせり上がる。紗の傘をさし踊る様を、二人の黒子がロウソクの明かりで照らす。

妖艶と不気味さが相まって、すっかり虜になってしまった。江戸時代の芝居小屋はかくやと思いを馳せた。

相手役の松緑は、若さのお陰、足下軽やかに踊る。玉三郎と絡んで、見劣りしないのはなかなかだ。ひと月一緒に踊っていれば、もっと良くなると思う。

また菊之助にも感心した。この人には独特の華がある。「白浪五人男」の序幕 第1場で、弁天小僧菊之助と南郷力丸にごねられる呉服屋の若旦那役をしたのだが、所作の美しさ、御店の跡取り息子にふさわしい品を感じさせた。

また他の演目も観に行く予定があるので、今後どのようにこなれていくか、見届けたいと思っている。

良いもの、素晴らしい物を見れば見るほど、もっともっとと、客は欲張り、役者に期待するのだ。


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「市川團十郎さんを悼む、歌舞伎の支柱 技巧を超越」 (2月5日、日経新聞朝刊)

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男とは、これほど短期間に成長するものなのか!

海老蔵が父の死に際し、インタビューに答えるのを見て驚いた。

わずか2年前にひと騒動起こし、父にかばってもらったのに。

歌舞伎の中でも中心に位置する市川宗家の長男として生まれ、運命に抗ってきた男が、ようやくそれを受け入れる覚悟が出来たようだ。

父、十二代目團十郎は、19歳でその立場に立たされたのだから、海老蔵自身、まだましと思わなければいけない。

4月の新歌舞伎座杮落しの知らせが届き、どれを観に行こうか、売り出しを前に悩んでいた時、この突然の訃報。

ただただ「残念」という言葉しかない。

4月から6月までの杮落し興業は既に演目、配役ともに発表されている。

團十郎は、これらの芝居の核として出演する予定だった。

配役を変えて行うと、松竹は言っているが、誰になるのか、まだ発表はない。

先行販売は明日からなので、それまでに決まるのだろう、とは思う。

團十郎の芸風と生き方については、表題の新聞記事に勝るものはない。

是非ご一読をお勧めする。

私個人は、もったいないことに、ほとんどこの人の舞台を見ていない。

ひとつには、お正月を中心の歌舞伎鑑賞だと、團十郎、菊五郎はあまり縁がない。

どういうことかわからないのだが、このグループはあまりお正月の歌舞伎座には出演しないのだ。

出来ることなら、一年中いろいろな演目を見たいのだが、残念ながら、時間も懐も限られている。

もう一つは、私自身の好みがへそ曲がりのせい。

何事も王道よりもやや外れた人が好きなのだ。

團十郎と言えば、歌舞伎を背負う名家。

それよりなんとなく、愛嬌のある勘三郎を追いかけていた。

その勘三郎亡き後、今度は團十郎を軸とする歌舞伎を見たい、と思っていた矢先。

まことにもって残念至極だ。

同世代の役者が、病気がちだったり、往年のオーラが衰えてきたように感じる中、團十郎、勘三郎は歌舞伎の神輿を一身に背負い、引っ張り、走り、そして斃れた。

この二人をはじめ、歌舞伎役者の休みの無いことには驚かされる。

生身の人間なのだ。是非体調管理できる程度の休みを与えてほしい。

新歌舞伎座建設の費用がかさむことも分かるが、これでは本当に歌舞伎がつぶれてしまう。

もちろんそれを良しとする、私たちファンもいけないのである。

いずれにせよ、これからは彼らの息子たちの世代が育つのを待つしかない。

杮落しでは、この二人の魂を抱き、役者全員の熱演が期待される。

頑張って、でも体も大事にしてほしい。

さあ、みんなで応援に行こうではないか。

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2013年 初春大歌舞伎

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1月2日、2013年の始まりは、いつものように歌舞伎観劇から。

今年は相棒が行けないと言うので、どうしようかと思ったが、売り出しの日、
インターネットで調べたら、花道のすぐ横の2等が、ちょうど1席空いていた。

「行け」との神のお達し。そう思い購入した。一階の一番後ろだが、花道の迫力を考えるとお得だ。

新年初日、夜の部の演舞場、例年華やいだ空気が場を盛り上げるが、今年はどこか寂しい。

ああ、勘三郎がいない!席に着き緞帳を見ると、その思いでいっぱいになった。

誰もが同じように感じているのだろう。それがこの雰囲気を作っているに違いない。

やや感傷的になったまま幕が開いた「逆櫓」(ひらかな盛衰記)。

久しぶりの歌舞伎に、耳が慣れるまで時間がかかる。

それでも贔屓の福助扮する“お筆”登場あたりから、舞台に引き込まれてゆく。

第2場の立ち回りに、お正月の演目らしい華を感じ、満足して休憩時間となる。

歌舞伎の楽しみのひとつは、幕間に場内をうろうろすること。

この時間に、あわただしく食事をする人もいるが、私はいつも、ただ歩きまわるのが好きだ。

観客の装いを愛で、小屋のお正月のあしらいを眺め、土産物をひやかす。

今回は雀右衛門の追善狂言があり、雀右衛門の今までの公演の写真展示があったりで、
場内の雰囲気を華やかにしている。

と、そこへ一年後輩とバッタリ。新年らしく、趣味のいい江戸小紋を着こなしている。

不思議なことに彼女とは毎年歌舞伎で会う。歌舞伎座が改築中は、いろんなところで
初春の舞台があるのに、何故か必ず出会うのだ。好みが似ているのかもしれない。

短い時間でそんなことを聞く余裕もなく、高齢のお母様の様子を伺うのみ。

別れてから、いつも聞くのを忘れたと思う。

さてさて次は「仮名手本忠臣蔵 7段目、祇園一力茶屋の場」。

四世中村雀右衛門一周忌追善狂言である。雀右衛門の息子、芝雀が“お軽”を演じる。

吉右衛門演じる“平右衛門”との掛け合いが絶妙で、素晴らしい!

心から楽しんでしまった。

そして最後は「釣女」。七之助が“上臈”で登場。

七之助は今回のお目当てのひとつ。父亡き後、どのように役に扮するのか。見届けたいと思った。

橋之助扮する“大名某”と手に手を取って舞う姿はとても美しい。

しかし残念ながら、そこにまだ美しい以上のものはなく、今後の成長に期待しつつ、見守りたい。

“太郎冠者”の又五郎、“醜女”の三津五郎は、堂々たる踊りっぷり。

お正月らしいあでやかさを感じた。

今回は一人で行くことになったが、それでも舞台は充分に楽しかった。

日が経ってしまったが、その楽しさを少しでも皆様にお伝えできただろうか。

四月の歌舞伎座杮落し公演は、なんとかして切符を入手したいと思う。

★ ★ ★ ★ ★

一月公演の売れ行きはあまりよろしくないらしい。

盛んにテレビでPR活動を行っているので、そう思った。

芝雀は素顔は地味だが、とても良い役者だ。

是非吉右衛門とのやり取りを観に行ってほしい。

以下が演目である。

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十八代目 中村勘三郎 - 早すぎる死を悼む

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これほど死にそうにない人が、なんとあっけなく逝ってしまったことか。

9月に入り、入院中の勘三郎が、呼吸を助けるための機械をつけたと聞いた。

しかしその後は何の音沙汰もない。

この静けさに、これはただ事ならぬ、とは感じていた。

だがまさか、そのまま帰らぬ人になるとは、夢にも思わなかった。

勘三郎を意識したのは、ずっと昔。

当時彼とのうわさがあった、妖艶で実力派の女優が、客死した直後の舞台だ。

小屋はどこだか覚えていないが、玉三郎との二人舞台だったと思う。

この時のお目当ては玉三郎。当代きってと評判の高い、女形を見に行ったのだ。

その頃は、もちろんまだ勘九郎。「勘三郎のやんちゃな息子の勘九郎ぼうや」位のイメージだった。

ところがところが、舞台の上の勘九郎は、鬼気迫らんばかりの迫力。すっかり玉三郎をくっている。

役者は何かのきっかけで化けると言うが、この時、勘九郎は化けた。

亡くなった女優の魂が乗り移り、彼に芸の華を咲かせようとしている。

そう分かった瞬間に、全身が粟立った。

それからずっと勘九郎を追い続けている。

いつからか、勘九郎、玉三郎、仁左衛門のトリオが確立したように思う。

このトリオが大好きなのた。玉三郎も綺麗だが、仁左衛門ほど、立ち姿、歩き姿の綺麗な人はいない。

とはいえ、私はファンクラブに入っていたわけでもない。

歌舞伎の切符は高価な上に、入手困難。

年に1回行ければいい方で、全く行けない年もあった。

ようやくこの数年、年寄りたちを見送り、時間の余裕もできた。歌舞伎座建替えの話も出る。

建替えまでに、大好きな歌舞伎座で芝居を見たいと思い、せめてお正月はと、心して切符を取るようにして来た。

もちろん勘三郎襲名披露の舞台も見た。
(その模様を書いた記事はこちら: http://peacelove.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-f18e.html )

写真は平成19年のお正月公演のプログラムを撮ったもの。

いっぱい見て、そのたびに買ってきたはずなのに、何故かこれしか見つからない。

勘三郎襲名公演が一段落した時。勘三郎の十八番「春興鏡獅子」を踊った時のものだ。

以下がその時の勘三郎のコメント。

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勘三郎は立役も女方もこなすが、踊りの名手でもある。

何よりリズム感がいい。そのリズム感の良さは、見えを切る時も、台詞の節回しにも発揮されている。

ああ、もうこんな粋で洒脱な役者はでてこない。

私はひそかに、お父さんより上手いと思っているのだ。

この人の60代の演技を見ることができないのは、誠に残念である。

天才と言われる彼は、実は随分大変だったと思う。

お父さんの十七代目勘三郎は、名優と名高い。その年とってからの息子。

10歳上には姉、波乃久里子がいる。男だったら、お父さんはこの人を歌舞伎役者にしたかったろう。その位、芸達者だ。

みんなから期待され、注目され、父親は名に恥じぬよう、必死に鍛えようとする。

彼が一皮むけたのは、前記の女優の影響もあるが、内助の功も大きいと思う。

女房は中村芝翫の娘、九代目福助、三代目橋之助の兄弟。私は福助も大好きなのだ。

役者の世界を知り尽くしている。役者の女房としてどれほど支えになったことか。

勘三郎とはもちろん面識はないが、彼とは不思議な縁がある。

ピアノの練習帰りにのぞく、東銀座裏通りのブティックに、彼も良く通っていた。

この店は良いものが安く、値ごろ感がいいのである。

私は見るだけが多いが、彼は行けば必ず大量に買っていたそうだ。

もう一つは、め組のご縁。勘三郎がお父さんから受け継いだ芝居の一つに、「め組の喧嘩」がある。

ご存知、火消のめ組と相撲取りが、神明様の境内で大喧嘩をする話しだ。

我が町内、新橋は、め組の管轄。神明様も近所。

まして、め組の頭の家と我が家は、その昔背中合わせだった。

昨年の歌舞伎座のホームページを見ると、なんとその頭が勘三郎と一緒に載っているではないか。

勘三郎がこの舞台をやるに際し、頭に挨拶に行ったのだそうだ。

どちらも大したことないことだが、どこかで勘三郎とつながっていることが嬉しかった。

息子二人の最近の舞台は評判が高い。

病気が治ったら、一緒の舞台が見られると、楽しみにしていたのに。

何より本人が無念だろう。

残念だが、もうこうなったら、息子たちを応援するしかないと思っている。

玉三郎も仁左衛門も、必死で支えるに違いない。

勘九郎が襲名披露の口上で、「父を忘れないでください。」と言ったそうだが、

忘れるもんか、いや忘れようたって、忘れることはできない。

ご冥福を心よりお祈りする。

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