介護

雛の日に童女送る。

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突然の大往生。

その日は機嫌良く、昼食もそこそこ口にしていたのに。

入院中の母を見舞い、「また来るね。」に返した母の言葉が気になり、夕方戻ると、急変。

わずか一時間余で、逝ってしまった。

一世紀近い人生は、まことに穏やかで安らかな終焉。神様のご褒美だと思う。最期を看取れたのは私だけ。

母は95歳で亡くなるまで、永遠の童女だった。

天真爛漫、好奇心旺盛、正直で金離れ良く、思ったことは内にしまっておけない。人が大好きで、あしらいにたけ、我が家ではいつも他人が一緒に食事をしていた。

大正の初めに11人兄弟の4女として生まれ、長じて早稲田の親戚を頼り上京、父と出会う。このあたりの話は良くわからないが、ともかく商店に嫁に来る。

父は典型的商家の二代目、趣味に走り、昼間店にいることはない。

母は店を守り、いざとなると母方の兄弟がはせ参じた。戦中、戦後と父のいない間店が守れたのは、母方の兄弟のおかげ。一人っ子の父はありがたかっただろう。

昭和58年に父が亡くなってからは、独身の2つ年上の姉、同じく独身の10歳以上年下の妹との3人で、昭和の終わりまで、店を切り盛りした。というより、娘の私に立ち入りを許さなかった。

卑弥呼のごとく君臨しようとする母に対し、同居の二姉妹は、委細気に留めず、マイペースを貫く。

当然店が繁盛するはずなく、浮世離れした三姉妹の繰り広げる日々は、昭和のメルヘンだった。

つぶれなかったのは本当に運が良かった。バブルの最後に、後ろから迫る不景気を振り切り、なんとか商売替え。三姉妹には店からお引き取りいただいた。

引退後の三姉妹は、衰えを知らぬエネルギーで、都内を闊歩。晩年はずいぶん皆様のお世話に。大人の迷子は「迷い人」と言うと、この時知る。

物覚えの悪い娘のために、母は二・二六事件の日に逝き、雛の日に煙となって天に昇った。

三十年近い実家再建と三人姉妹介護の道のりは、この日無事大団円。

母と時代を共にした少数の生存者と親族で、大往生に相応しい、大爆笑の葬儀を終え、寂寥感と達成感の入り混じった、不思議な気持ちを、今味わっている。

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この道のりを支えてくださった皆様に、心より感謝申し上げます。

またお知らせ出来なかった皆様には、深くお詫び申し上げます。

現在介護に携わる方々、私も何度、どちらが先に逝くかと思ったものです。でも必ず最後に救いはあるのだと、今は信じられます。

一人になりましたが、看取りのときに母のパワーを受け継いだので大丈夫です。青天井の自由を手に、生きていきます。

どうぞこれからも、宜しくお付き合いのほど、お願いいたします。

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長生きのコツ

幸いにも92歳の母がいる。健在にして健啖。しかも舌の滑らかで達者なこと。生きるエネルギーに満ち満ちているのだ。

お気に入りのイタリアンレストランで、 よく一緒に食事をする。

1050554_img_1なぜこの店が好きか?と聞くと、キャンドルライトでのお食事が素敵、ウエイターのサービスが良い、とノタマウ。

この店の従業員は全部若い男性だ。年寄りの客は珍しいので、大事にしてくれる。

近隣競合他店はウエイトレスばかりなので、母のおめがねにかなわない。

困ったもんだと思うが、この乙女チックが彼女の信条。

どうやらこの辺に長生きのコツがあるようだ。

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