旅日記
梅雨空に青空を!
梅雨空の日本に、カナダ、プリンス・エドワード島の青空とルピナスをお送りしよう。
島はちょうど、夏へと舵を切り始めたところ。
雲の流れ早く、小雨と青空が交互に。
晴れれば、流れる雲をお供に、青空とルピナスが輝く。どちらも雨に洗われてすがすがしい。
昨年は「赤毛のアン」出版100周年記念で、多くの日本人が訪れたと聞く。
今年は新型インフルエンザの影響か、あまり見掛けなかった。
人間の騒ぎをよそに、プリンス・エドワード島の自然は、いつもと同じ夏を迎える。
いや騒いでいるのは、日本人の一部と、自分でネタを見つけられないマスコミ。
カナダ人はこの程度のことでは驚かない。だって、零下30℃の冬を生き抜くのだから。
そして、島名物ロブスターとジャガイモも、いつもの年と変わらぬ美味しさ!
たとえ新型インフルエンザがはやっていても、これをパスする勇気はない。
さらばGM - シャンゼリゼで占う車の行方
すっかり時間が経ってしまったが、3月にフランスに行った時のこと。
久しぶりのシャンゼリゼは、全く変わっていた。世界中のブランドショップ、チェーン店が軒を並べ、昔の趣はない。かろうじて、リド(Lido)とフーケッツ(Fouquet's)の両老舗が頑張っている。
6車線の広い通りは昔のままだが、車の排気ガスで、眼はチカチカ、のどはイガイガ、鼻水が出てくる。
そのなかで気になったのは、車のメーカーのショールーム。
シャンゼリゼの店舗は、世界に向けた広告塔だ。ここを見れば、その会社が何を目指しているか分かるはずだ。
まず、トヨタ。

分かりにくい写真で恐縮だが、2005年の愛・地球博で披露したi-unitの後発車、i-REALと思われる。人にやさしいパーソナルモビリティを前面に。トヨタの技術を見せている。
こちらはプジョー。
トヨタ同様、近未来的車が並ぶ。
さすがプジョー。
独特のデザインは素敵だ。
一方、メルセデス・ベンツ。
玄関の写真しかないが、中の車は撮る必要がないほど、現在販売している車種を並べてあるだけ。
ドイツ ゲーテも大好きだったグリーンソース
ザクセンハウゼン地区は、フランクフルト、マイン川南岸に広がる。
古くはザクセン人がこの地に住んだ。それが地名の由来とのこと。
川沿いは博物館が集まり、博物館めぐりと河岸の散策は、お勧め観光コースだ。
この地域の名物は、リンゴ酒。
かつては、このあたりの住民が自給用に作っていたが、今はそれを目玉にした居酒屋が、多くある。
そのうちにひとつ、ツム・ゲマルテン・ハウスに行った。
ゲマルテンとは「絵が描かれた」という意。その名の通り、店の壁はフレスコ画でいっぱい。
夏は、中庭の席を取ると、遅い夕暮れを楽しみながら食事ができる。
さて、何を食べよう。
ドイツ名物、豚の塩ゆでとキャベツの漬物(ザワークラウト)、そしてもちろん、リンゴ酒を注文。
塩豚の肉汁、ザワークラウトの酸味、そしてリンゴ酒の甘酸っぱさ。フランクフルト下町、味わい三重奏だ。
今書いていても、生唾がわく。
グビグビ、ムシャムシャ。忙しくやっていると、品のいい中年の婦人が、息子らしき青年を伴ってあらわれた。
中庭には空いた席がない。私が広いテーブルを占拠しているのに気づき、相席を求める。もちろん応じてテーブルを分け合った。お互い気にはしつつも、会話のきっかけのない状態が、しばし。
婦人は慣れた様子でオーダー。黒パン、茹でたジャガイモ、緑色のディップのようなものが運ばれて来た。この緑のディップがいたくお気に入りで、お代わりしている。
もはや生来の好奇心を抑えきれず、それは何かと問う。
するとこれは、英語に訳すと「グリーン・ソース」というもので、7種類のハーブを微塵にし、ヨーグルトを混ぜたもの。フランクフルトの名物で、他の地にはない。彼女は南ドイツに嫁に行き、今日里帰りをした。懐かしい故郷の味を楽しもうと、早速やってきたのだ。
「ゲーテも大好きで、どこかに書いている。さあ、あなた、ちょっと食べて御覧なさい。」
もう残り少ないディップを勧める。
黒パンにつけて一口。噛んだ途端、ハーブのブレンドが醸し出す芳香が、口から鼻に抜けた。
何と例えたらよいか。
口腔内に、春風が吹いているようだ。
これは爽やか。
またリンゴ酒に合うではないか。
こうして、フランクフルトの夜は更ける。
答え ドイツゲーテハウスの不思議
1週間仕事で留守をした。
答えが遅くなって申し訳ない。
正解は、なんと、洗濯物をプレスする機械。
私も、e-g-gさんと同じく、印刷道具の一種かと思った。
想像するに生乾き、もしくは濡れているうちに、畳んで挟み、しわを伸ばしたのではなかろうか。
こんな大掛かりな機械でプレスするなんて、どれほどの量を洗っていたのか?
シーツとか、大きなものがいっぱいあったのかなぁ?
またプレスした後、どうやって干したのか?
「答え」ではあるが、謎は深まる。
ドイツ ゲーテハウスの不思議
ドイツ 車
ホーエンシュバンガウ城の駐車場に停車していたバス。オーストリア、インスブルックのアイスホッケーチームのバスだ。
このチームが観光に来たわけではない。
チームが使わないときは、普通の観光バスとして、バス会社に貸して使うのだ。
宣伝にもなるし、乗った人も喜ぶ。
イタリアでサッカーチームのバスに乗ったことがあるが、選手用バスは、座席がゆったりとして、大きなフットレストがついていたりする。快適だ。
ビールだけでなく、ソフトドリンクも販売している。SPEZIとは、コーラとオレンジソーダの混じった飲み物。ドイツとオーストリア以外では見たことがない。
ローテンブルグ市庁舎前にて。町に合ったクラシック・カーが展示されていた。運転席にあるマホガニーの小物入れが素晴らしかった。
フランクフルト市内にて撮影。この車にふさわしい美男・美女の持ち物か?
ドイツ ハイデルベルクの大道芸人
しかしこのタイプは初めて見た。
日本でも扇子の先から水を出したりする芸がある。
そのドイツ版か。パントマイムをしながら、指先や、耳、帽子から水を出す。
水が出るたび、子供達が声をあげて喜んでいる。
こんなお天気の良い乾燥した日には、ぴったりの出し物だ。
出した水は、スカート状のプールに戻る。
たぶんそこから水を吸い上げて、出す仕組みになっているのだろう。
面白くてしばし見ていたが、どうなっているか、深く考察しないまま、通り過ぎてしまった。
白アスパラの夕食を堪能し、窓辺で涼む猫と、しばし猫語でお話。家路を急ぐと、くだんの大道芸人の撤去作業に行きあたった。
銀色の化粧は、もはやまだら。びしゃびしゃで、顔をゆがめ、水をかき出していた。
近寄って、その様子を写すのがはばかられるほど、全身に疲れをにじませている。
寝起きの芸者のように、見てはいけない舞台裏を見てしまった。
申し訳ない気持ちで、オツカレサン!声にならぬ声をかける。
昼間の芸より、この後片付けに、1ユーロをあげるべきだった。
ドイツ ゴチソウサマ!
好天に恵まれたドイツ10日間。春から初夏へ、ちょうど季節の移ろう時だった。
冬から春、春から夏と、暖かくなるときは、エネルギーがいる。みなぎる陽光を受け止める、丈夫な体にならねばならぬ。その力を、新芽からもらうのだ。若芽を伸ばす何かが、体を目覚めさせてくれる。
日本なら筍だが、ヨーロッパの人々は、この時期もっぱら白アスパラを食べる。
ヨーロッパのなかでも、ドイツは白アスパラの生産地として有名だ。
いろいろな食べ方があるが、やはり一番は、茹でてバターソースをかけたもの。このシンプルな方法が、旬のアスパラにはふさわしい。
そして、飲み物はドイツの白ワイン。これがまた、アスパラ独特の香りを一層引き立てる。まるでアスパラのために生産されたよう。
なみなみと気前よく継ぐのがドイツ風。何処かのレストランに見せてやりたい。
国際空港の自国PR
オランダの空の玄関口、アムステルダム、スキポール空港。女子トイレのドアと壁は、こんな写真でできている。
飛来者にとって、空港は第一番にその国と接するところ。そしてその国の印象を持つ。
「オランダはどんな国?」を、来た人に印象付けるために、誰もが行く場所に、オランダの歩みの分かる写真を飾っている。
しかしスキポール空港のように、ハブ空港になっているところは、乗継だけで、その国に入国しない人も多い。
だからこそより一層、この試みは大事だ。
今回は乗継だが、この次はオランダに来てみたい。そう思わせるために。
日本の空港も、トイレの扉が狩野派の襖絵だったり、北斎、広重、写楽などの浮世絵が描いてあったり、はたまた、いまや世界に冠たる日本産アニメキャラクターなんかが、跋扈していたら、楽しいじゃないか!
オイル・サンドに沸く街
オーロラ観賞をしたフォート・マクマレーは、オイル・サンドで今活況を呈している。平均年収1,000万円を超えるという、高額所得者の街なのだ。
オイル・サンドは今見つかったわけではない。クレー、デネといった先住民族達は、水が入らないよう、カヌーの底に塗っていた。
18世紀初めに、ヨーロッパから来た毛皮商人の注意を引き、19世紀後半には調査研究も行われた。しかし極北の地で、砂粒の中に包まれたオイルを取り出すのは、そう簡単ではなかった。
20世紀に入り、アルバータ大学のカール・クラーク博士が、現在の技術につながる、蒸気を利用した抽出方法を完成させたが、商業的に成り立つようになったのは、20世紀も後半になってからだ。とはいえ、アラブオイルに比べはるかに高価で、販路は厳しかった。
それが今、オイルの急騰を受け、一躍桧舞台に躍り出た。
平日はホテルもビジネスマンで満室。エドモントンからの飛行機の予約も取りにくい。
ここで働く人たちは、一定期間宿舎に泊まり、稼ぐだけ稼ぎ、暖かいところに移り住む。出稼ぎ労働者ばかりの住む街だ。街を歩いても文化の香りは感じられない。
オーロラを観る
場所はカナダ、アルバータ州、フォート・マクマレー。
体感、零下35度。ちぎれそうな指で、にわかカメラマンはシャッターを押した。
オーロラと言うと極彩色を想像するが、それはオーロラ爆発と呼ばれるもので、1年に10回ほどしかないそうだ。これを見た人は、人生観が変わると言う。
一般的には、緑色から乳白色に近い色が多く、太陽のエネルギーの強さによって、いろいろな状態のオーロラがある。各地の観測者が、オーロラに勝手なレベルをつけているが、この写真は真ん中位のレベルらしい。写真では緑色が濃く見えるが、肉眼では雲のように白っぽいなかに、少し緑を感じるくらい。写真の方が色がきれいに出るのだ。
今回は、カナダ観光局とカナダ・アルバータ州観光局の研修旅行で、アルバータ州各地の観光地を訪ねた。
目玉はオーロラ観賞。ただ問題は、「はたして出るか?」なのだ。同行者には、オーロラのメッカと言われる、カナダのイエローナイフ、ホワイト・ホース両方で見られず、3回目の挑戦という人もいた。この二名の力の入りようは、隣で見ていて痛々しいほど。
しかし二人は、観賞せずとも、オーロラ撮影のノウハウを身につけていた。その指導のおかげで撮れたのだ。自分自身観賞はしても、まさか写真は撮れまいと思っていたのに。
オーロラが出やすいのは、夜10時過ぎ、三晩、午前1時~2時頃まで頑張った結果が、この写真だ。
使用カメラは、いわゆるバカチョンデジカメ。幸いなことにマニュアル・モードがついていた。ISOを800にして、15秒間開けっ放しにする。多少モワレしているが、人が見てもオーロラと分かるだろう。
もちろんいいカメラなら、もっと良く撮れるかもしれない。が、この程度のカメラで撮れてしまう。しかも私の腕前で。最近のカメラがどんなにすごいか、あらためて感じ入った。
オーロラは数秒から1時間以上のものまであるそうだが、体験したのは、数分のものだった。一晩に数分、2-3回出るオーロラを待って、寒気のなか立ち続けるのは、並大抵でない。しかし待つ辛さが、出たときの感動を大きくする。
零下35度の中、オーロラ観賞サイトで初めて出会った人々が、見知らぬ者同士、心一つに祈って待つ。出会うオーロラは、ほとんどこの程度のものだ。しかし出たときは、思わず隣の人と手を取り合って、喜びを分かち合う。
オーロラを観るとは、オーロラそのものを見る感動より、むしろそのプロセスで体験する交流や、自身の心のありようを見る喜びかもしれない。
ウサギ鍋
忙しいのではない。手順が悪いのと先に遊んじゃったから。
イブの食事は七面鳥だが、寒い晩はウサギもいいよ。
寒さひとしおの先日、ふと思いつき、赤ワインでコトコト煮ること1時間半。出来ました!食べました!おいしかったー!
ウサギの赤ワイン煮は、フランスの代表的家庭料理。
パリの下町、バスチーユは、郊外へ行くバス・電車のターミナルだ。みんな帰りがけに、夕飯の食材を買う。ずいぶん前、冬に行ったとき、ずらりとウサギが並んでいた。きれいに皮をむいて、鼻の頭、手足の先を落としである。一体これは何だろう?ピンク色のきれいな肉だ。丸く黒い眼から想像するに、それしかない、と思った。見渡すと、人参を食べる、かわいいウサギの絵が。やっぱり!
鳥肉に似ていると言われるが、独特の肉質は、他のものには替えがたい。
冬のパリっ子は、煮るばかりに下ごしらえされたウサギ肉を買って、家路を急ぐのサ。
バース
ロンドンから西へ、列車で約1時間強。ローマ人によって温泉が発見されたことから、この町の名前がバース(風呂)とつけられた。
今でも湯は湧き出ていて、その鉱泉を飲むことができる。さすがにもはや入浴はできないが…。
この町は18世紀に上流階級の社交場として栄え、蜂蜜色の石で建てられたジョージ王朝様式の建物が、街全体を上品な趣に仕立てている。
ローマ浴場跡、三日月形に弧を描くロイヤル・クレセントの建物など、見どころはいっぱいあるが、バース寺院(BATH ABBEY)の清廉な佇まいは、数あるイギリスの寺院のなかでも、秀でている。
訪れるたびに、必ず詣でるところだ。心落ち着き、また来れたことを感謝する。
バースは骨董の店も多い。アクセサリーなど、掘り出し物がある。
香港の食事
3泊4日の香港旅行。そのうち一日は日帰りマカオ。しかも一人旅。これではたいしたものは食べられない。
今回は以前行ったレストランが健在か、それを確認するにとどまった。
これはGOLDEN ISLAND BIRD'S NEST CHIU CHAU RESTAURANTでのフカヒレスープ。少し中身が減ったように思ったが、味は変わらず。
メニューも店構えもかわらないが、何よりも、マネージャーが、私を覚えていてくれたのが嬉しい。丸顔は年取らないのか、10年前と同じ笑顔で迎えてくれた。
こちらはYUNG KEE RESTAURANTのお馴染みメニュー、ガチョウのロースト。北京ダックは皮だけ食べるが、ここでは肉も一緒に。
付け合わせに頼んだ野菜もおいしかった。土曜の晩に行ったので、家族連れで満席状態。相変わらずのにぎわいだった。
残念だったのは、満足な飲茶に出会えなかったこと。
飲茶で有名な老舗レストランにも行ったが、以前よりメニューが減っているし、味も良くない。ワゴンや首から下げたトレイに山と盛って、テーブルの間を売り歩いていたのだが。香港人のお昼はもっと欧米風になったのだろうか。いやなにより、飲茶の仕込みをする人件費が上がって、割に合わなくなったのだ。
それでも日曜は、3世代家族がそろって、外食をしている。いい風景だ。
出発前にひと粘り。空港レストランで飲茶の仕切り直し。まずまずだったので、救われた。探せば良い店があったのかもしれない。しかし、飲茶メニューは確かに減っている。
香港では、イタリアンやフレンチなど、欧米系のレストランが流行っている。店構えも含め、中国的なものより、西欧的なものへの憧れが強いように見えた。
いや欧米が、中国市場を狙っているのだ。香港は中国本土へ切り込むための拠点。まずここを征服するために、広告宣伝、パブリシティ、あらゆる手を使って、人心を捉えんとしている。
ホテル建設ラッシュのマカオ
香港は10年ぶりだったが、マカオは30年ぶり。本当に驚く。
前行った時は、ひなびた漁村のようだった。ただそこには、リスボンというカジノがあるだけ。街の人は木陰で麻雀をしていた。
今回は時間の都合で、香港から日帰りツアーを利用。よけいにひなびた所を見ることはできなかった。市井の人々は、どう暮らしているのだろう。
マカオがこんなになるとは思わなかった。あの頃は、本国からも忘れられた植民地。そんな風情だったのに。
マカオは今ホテル建設ラッシュだ。第二のラスベガスを目論見、大手ホテルチェーンが、こぞって進出を図る。
そもそも博打好きの中国人は、小金ができて、ますますマカオへ通う。
マカオタワーにも驚いた。展望台からはバンジージャンプもできる。ただし料金、約1万6、7千円。お金もらっても嫌なのに、支払って飛ぶ人がいる。

変わらないのは、
今アジア、インドは、急加速的変化を遂げている。
その変化の先には何があるのだろう。
空恐ろしい気持ちがする。
熱気・活気あふれる香港 -その2-
香港名物、日曜日のフィリピン人メイド集合は、相変わらずだった。いや相変わらずどころか、いや増している。
前はスターフェリーの香港側乗り場前に集合していたが、そこからビルとビルの空中回廊を経て、一本街側の通りへ移動していた。正確に言うと、その空中回廊から大勢のメイド達がたむろしている。本国へお金や荷物を送るため大騒ぎだ。そしてそれが終わったら、階段だろうがどこだろうが構わず、みんなで一緒にお弁当を広げ、おしゃべりの花が咲く。
出稼ぎというと暗いイメージがあるが、彼女たちは明るい。家族にお金や荷物を送れることが嬉しそうだ。そしてみんなと楽しく日曜日を過ごす。たくましい。
この人たちがいないと、香港の上流階級の生活は成り立たない。
戦後教育によって、国民皆平等を植え付けられた私たちには、奇異に映るが、実は日本以外のほとんどの国は、階級社会なのである。どの国にもフィリピンメイドはいるし、フィリピンもそうして外貨を稼がないと、国が成り立たない。いやもうすぐ日本でも、フィリピン介護ヘルパーが当たり前になるのだろう。国は本気でそれを考えている。はたして今の日本人に、彼らをちゃんと受け入れるだけの懐があるだろうか?
熱気・活気あふれる香港。
香港から戻った。10年ぶりの訪問だ。
3泊4日で一日はマカオ日帰り。短く忙しい旅行だった。とても全体は見られないが、中心部は見たつもり。
香港島、中環あたり。
店の飾り付け、広告がインターナショナルだ。
昔の香港らしい漢字看板が少なくなった。目抜き通りはブランド店ばかり。
香港は活気に満ちあふれていた。世界中から人が集まっているようだ。英語はもちろん、フランス語、ドイツ語、スペイン語、いろんな国の言葉が聞こえる。なかでも中国本土から来ている人が多いように思う。というのは、背の高い中国人がいっぱいいたからだ。もともと香港人は小さい。大きな中国人は本土から来た人たちと推測できる。10年前は、背の高い中国人はあまりいなかった。残念ながら広東語と北京語が聞き分けられないので、こう推し量る。
食事時の有名レストランは、どこもいっぱい。席数が300~400あっても、人であふれている。こんな高いレストランが満席になるとは、やはり好景気なのだ。
もはや香港は安くない。
街中は工事中だらけ。ビルとビルは地下道や空中の通路で結ばれているので、工事中のところを歩かず済む。しかし、久しぶりの私は地べたを歩かないと見当がつかない。埃にまみれ歩き回るうちに、頭の中に地図がよみがえってきた。ほら、ここを曲がれば、あの店が!一度分かれば、もう空中通路や地下道で大丈夫。
10年ぶりだったが、相変わらず元気に商売していたのは、大型のレストラン。家族でやっていた店は、消えてしまっていた。
とても気に入っていた骨董屋が跡形もなく、怪しげなゲーセンに変わっていたのは、悲しかった。家賃が1年に20%も30%も上がるので、資本の小さい店は続けられないそうだ。骨董も値が上がっているので、あの店主はうまく商品を売りさばき、小金を手にして店を閉めたと思いたい。
驚いたのは、香港を歩いている中国人、韓国人、日本人の見分けがつかなかったことだ。考えれば当たり前、自分だって、来ている服、かけている眼鏡、みんな中国製。だが、一昔前は顔つきが違った。今はみんな同じように見える。同じTV、映画を見て、同じポップ・ミュージックを聴く。そうすると同じ顔になるのだろうか?
アジアは一つ。その方向に向かうのか?(少なくとも経済圏としては、そうして世界に対抗したい、こう思っている経済人は多いのでは?)
その時こそ、日本人として文化的アイデンティティが必要だ。世界に飛び立つとき、自身の立ち位置が分からないと、どちらに向かって歩いたらいいか見当がつかない。自己の確立がないと他者とも向かい合えないから。
今日のところはとりとめない雑感。マカオにつては別記する。
お出かけです。
10年ぶりに香港とマカオに行く。
香港には中国返還前、1年に4回も行ったが、その後さっぱり縁がない。
新生中国の中で、どのように変わったか、見てきたいと思う。
またマカオは、大変なホテルラッシュだ。アジアのラスベガスを目指しているそうな。
夏はとうとう休みが取れなかった。久しぶりの休暇。楽しみだ。
いつものように気楽な一人旅。さてしかし、どうやって一人で、中国料理を食べるか?それだけが気がかりだ。
戻るまでブログはお休み。
See you!!
あなたの旅をプロデュース!
外資のホテルに勤めていたことがある。
広告は世界戦略にのっとり、本社が作成する。そして、世界中に同じものを打つ。
英語のままで来るので、広告を翻訳していた。あるときのキャッチコピーは、「あなたの旅をプロデュースする ーー ●●●ホテル!」
でも本当に私たちが、旅をプロデュースしているのだろうか?ふと疑問に思った。
お客様のなかには、どんなに素晴らしいサービスを提供しても、現場で起きたちょっとしたハプニングで気分を害し、自分で旅行を台無しにしてしまう人がいる。
天気が悪いと、つまらなくなったり、突然生じた事態に、自分の気持ちの整理が付かず、ホテルやレストランの従業員にヤツアタリしたり。
こういう人は、どこへ行っても必ずコンプレインになる。
旅行ではいろんなことが起こる。その時どうするか。それが面白い。自分が試されているのだ。
だから、”あなたの旅をプロデュースするのは、あ・な・た・です!”
イギリスのバス
5月のロンドン・ウェールズ行は、国内の移動に、すべて公共の列車やバスを利用した。
列車についてはまた書くが、今日はバスの話。
イギリスではこのように犬をバスに乗せていい。ただし、混雑時を避ける。犬のしつけが良いので可能だ。フラッシュでちょっと眩しそう。
2番目の写真はウェールズのバス。ワンマンカーで、乗る時に切符を見せる。私は1日券(場所によって料金は違うが、だいたい5ポンドくらい。)を買って、乗り降り自由に、あちこち回った。
バスに乗っているのは、中流以下の年配の人が多い。学生もけっこういる。要するに自家用車を持てない、もしくは運転できない人たちだ。日本のようにシルバーシートもある。
違うのは、携帯電話使用可。大声で話しているが、誰も文句を言わない。他人のことはあまり気にしないのだ。
一番可笑しかったのは、運転手が自分のカミサンを乗せて、乗客に紹介している。「あらあら、いい奥さんじゃないの。あんた幸せもんだね。」乗客から言われて、満更でもなさそう。カーディフから、郊外のウェールズ民族博物館へ行くバスでのことだ。見学を終えて帰りのバスに乗ると、また同じ運転手に遭遇した。まだ奥さんを乗せていたので、驚く。カミサンは自分の母親と携帯電話で話している。運転手がハンドルを握りながら、「僕からよろしくって伝えてよ。」と叫ぶ。
また、ウェールズ最西端、セント・デイヴィッズに行くときのこと。カーディフからハーバーフォードウエストまで列車で移動。駅から目当ての大聖堂まで、バスで40分ほどかかる。この日はまたカーディフまで戻らねばならない。帰りの接続を調べると、2時間に1本しかない列車の、出発10分後にバスが到着するようになっている。前後のバスもすべて同じだ。
駅から乗るのは私一人。列車の時刻表を見せ、運転手に不満を言った。「どのバスで戻ってくるのか?」と聞かれ、「大聖堂見学に2時間くらいだから、このバス」と言うと、「それは僕が運転するから、急いで走る。」ハァ?と思ったが、まあ聞いておいた。
さて、出発。バスは海岸沿いの美しい景色を通過、学校の前へ。と、その学校から、一人の少女が現れた。いかにも頭の薄そうな子だ。おやおや、バス停でもないのに停車。少女はどうやら運転手の彼女らしい。乗り込むなり、隣でシナを作っている。大勢の乗客はこれに何も言わない。
帰りはどうしたかって?大聖堂前で一緒に降りた彼女が、遅れたバスの到着きっかりにバス停に現れた。きっと連絡を受けていたんだね。そしてまた学校前で下車。バスはすでにスケジュールを大幅に遅れている。しかも大勢の乗客。乗降にも手間取るし、とても目当ての列車には乗れまい。もはや諦めた。駅の一つ手前のバス停で、私以外の乗客がすべて降りると、突然バスは急いだ。そして駅に到着。曰く、「急いだが、スケジュールより2分しか早く着かなかった。でも一生懸命やったのさ。」と。
もちろん、イギリスのバス運転手が、すべてこんな風ではない。だが、1、2分の遅れを心配し、脱線事故まで起こしてしまった日本の運転手(列車だが)との違いを、どう思うか。
福知山線の事故で瀕死の重傷を負い、いまだにリハビリを続けている人が、テレビのインタビューに答えて言った。「僕たちの社会に、1、2分の遅れを許さない仕組みがある。」「そこを問いかけないと、このような事故はまた起こる。」
涼やかな白い花。
記録破りの夏もようやく終わり、朝夕涼しくなった。
さて今日は、目に涼やかな庭を紹介しよう。
イングランド南部、ケント州に、このホワイト・ガーデンはある。すべて白一色の庭だが、白にもいろんな色があることが分かる。さらに花芯の色、緑とはいえ微妙に異なる葉の色が、彩りを添えている。
シシングハーストという貴族の館の庭だ。ヴィータ・サックヴィル(詩人、小説家)と、ハロルド・ニコルソン(歴史家、日記作者、外交官)の夫婦が1930年代に造園。
この館には、他にローズ・ガーデン、コッテージ・ガーデン、ハーブ・ガーデン、などなどあるが、ホワイト・ガーデンがそのユニークさで、一番有名。
イギリス各地には様々な庭があり、どれも素晴らしい。ここにご紹介したような、名園はもちろんだが、一般家庭の庭も、なかなか捨て置けない。
花好きの人にはたまらないところだ。
まずい国のおいしい食事―その2
今日は、みんながなんとなくまずいと思っている、ドイツでのおいしい食事。きっと、じゃがいもと酢キャベツのイメージが強いのだろう。
まず一皿目、盛り合わせサラダ(アーティチョーク入り)。
白アスパラ(シュパーゲル)と新じゃが。4月下旬から6月中旬しか食べられない。
ドイツ定番のデザート、アップルシュターデル。(ホウズキの付け合わせがお洒落。)
旧東ドイツ、ドレスデンでの食事。10名ほどの料理を一皿に盛り付けてくれた。(デザートの写真は一人前。)
ドレスデンは、16世紀からザクセン王国の首都として栄えた町。第2次世界大戦の大空襲により、一夜にして廃墟となった。戦後瓦礫の一つ一つに番号をつけ、壮大な再建作業を、試みるも、東ドイツの財政難からなかななはかどらない。ついに1985年、ワグナー、「さまよえるオランダ人」、「タンホイザー」初演の地として名高い、ゼンパーオペラ劇場の復興がなされた。その後、2005年には、フラウエン教会の再建完了。塔の上の十字架は、瓦礫より掘り出され、戦争記念碑として残された。新しい十字架は、ドレスデン空爆を行ったイギリス軍兵士の息子により制作され、「和解の印」としてイギリスから送られた。
この町には、ツヴィンガー宮殿をはじめ、ブリュールのテラス、「君主の行列」というタイルの壁画など、見どころがいっぱいある。
宮殿内のアルテ・マイスター絵画館はフェルメールによる「取り持ち女」、「窓辺で手紙を読む女」、ラファエロ「システィーナのマドンナ」などを所有。絵画好きの人ならずとも必見。
まずい国のおいしい食事―その1
イギリスやドイツの食事はまずい、というイメージはないだろうか?
この前聞いた話では、その人は最初からあきらめ、ロンドン中心の土産物店で、おにぎりセットを食べたそうな。高くてまずかったと言っていたが、それは当たり前。
そもそも日本人の集まるところは、店側に「日本語が通じる、日本食というだけで客が安心する。」との奢った考えがあり、味で勝負していない。どうせ日本食を食べるなら、現地のイギリス人が行くところを選んだほうがいい。何しろ世界は大変な日本食ブームなのだ。
この写真は、ロンドンのパディントン駅構内にある回転ずし。皿の色で値段を分けている。残念ながら食べる余裕がなかったので、味のほどはわからない。が、これは一例である。(この写真は2005年に撮った。今も営業しているか定かではない。)
以下はおいしかったロンドンの食事。
ね。おいしそうでしょ。
どこで食べたか、皿の柄から、わかる人がいるだろう。
アングルジー島での一期一会
さて、5月にイギリスに行った時の話。
ウェールズの北にあるアングルジー島を訪れた。1826年に出来たメナイ橋によって本土とつながっており、 北ウェールズの交通の要、バンゴールからバス、または列車で行くことが出来る。
この島には世界一長い名前を持つ村がある。
Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwlllantysiliogogogoch というのが正式な名前。”聖テシリオの赤い洞窟の近くの、激しく渦巻く早瀬の近くの白いハシバミのそばの窪地にある聖マリア教会”という意味。略してLlanfairPGと書くが、正式名の書かれた駅の写真を撮りに、観光客が集まる。
それを吸収しようと、最近駅前にデューティーフリーショップが出来た。大型バスから続々と団体さんが降りてくる。
こういうの好きなのは日本人だけではないらしい。
この日の最終目的地は、島の西端ホーリーヘッドだ。バスを乗り継ぎ目指す。ここからは、アイルランド行きのフェリーが出る。フェリー見たさにそこまで行った。
街の中でいくつかバスストップがある。どこで降りたものか迷って、訪ねたのが、このご婦人。親切に街の案内をしてくれた。街の中心の教会には、ウィリアム・モリスのステンドグラスがあるという。是非見たいという私を連れて行ってくれたが、閉まっていた。申し訳ないので、自宅でお茶をいかが、そしてモリスの本を見せてあげると言う。遠慮はあったが、婦人の上品な佇まいに惹かれ、お邪魔することに。
彼女は私と三日違いの生まれ。近くに住む老母と、障害を持った息子の世話に忙しい。息子は最近施設に入ったが、時々面会に行かねばならぬ。
彼女の抱える問題を考えれば、日本は地理的にも心理的にも、遠い遠い国だろう。
だからつかの間、私を案内したのだ。遠い国に関係を持つために。
介護の大変さはどこも同じだ。日本より社会保障が行き届いているといわれているが、家族の心の重さは変わらない。
クッキーと紅茶でしばし話に花が咲く。ウィリアム・モリスの本とバナナをお土産に、時間が来て、母を見舞う彼女と別れた。
行きはバスだったが、帰りは列車でバンゴールへ戻る。バスで1時間半かかったのが30分で帰着。その30分、彼女との暖かい交流をずっと反芻していた。
旅はインテリジェンス
一人旅が大好きで、ガイドブック片手に、中年バックパッカーよろしく、出発する。
5月の英国旅行もそうだった。
大雑把にだいたいの旅程を決めるが、後は出たとこ勝負。行きの飛行機の中で、ガイドブックを読んだりして決める。
spontaneousが私の旅行信条。
当然行ってから、街のインフォメーション・オフィスや、ホテルのコンシェルジェ、はたまた、たまたま隣に乗り合わせた人などに、見所やレストランの事を聞く。ガイドブックで得た情報のすり合わせをするのだ。何しろガイドブックは、時として「地球の迷い方」なので…。
さあ、ここからが大変。いろんな意見が出てくる。短い旅程の中で、全部は達成できないから、どれを選ぶか。
そこで、今流行の「インテリジェンス」が必要となる。
”インテリジェンスとは、通常、入ってくる情報(インフォメーション)の信憑性を評価し、政策決定に役立つ形で加工を加えた特殊情報である。”(文芸春秋2007年7月号、佐藤優著、「インテリジェンス交渉術」より抜粋。)
ガイドブックは、すでに上記の特殊情報のはずだが、有名な場所や、トレンドしか追っていないところがある。、自分にとって訪れる価値あるかどうかは、やはり本人の”政策決定に役立つ形”に加工を加えねばならない。
見所は、日本人と現地の人の推薦とずいぶん違う。やはりとりあえず、出来るだけ多く行くしかない。が、そのときの旅行のテーマを、または自分の旅のテイストを、あらかじめ決めておくといい。
5月の英国旅行のテーマは、ケルト文化とお城であった。だからとにかく、お城があれば寄った。またケルトの文様に興味があったので、お城の中の調度品などに、文様がついていないか、観察した。
整理整頓は後に譲り、行ったからには、テーマに沿って、とりあえず多く見てくることが大事と思う。
もうひとつのテーマは教会。これはいつでもどこでも、外国へ行ったら、宗教的な場所を必ず押さえる。宗教は、その国を理解するための重要な要素であるから、はずすわけにはいかない。
そんなふうにして、行く場所はだんだん決まってくる。
あとはレストラン。
旅先で食事の場所を探すのは、とても大変だ。まして一人旅となると、行ける場所、食べる量など、限られている。
レストランに関しては、そこそこのホテルに滞在していれば、そのホテルのコンシェルジェに聞くのが一番。経験的に大変精度が高い。
もうひとつは、店のオーラを感じること。おいしいレストランは、店の前に立つだけでわかるはずだ。さらにちょっと入って見れば、お客やウェイターの雰囲気で、確認できる。でも最悪失敗したら、一皿でさっさと勘定をすませ、他へ行こう。なかなかエネルギーの要ることだが…。
そして人にものを聞くとき大事なことは、誰に聞くかだ。相手の人相風体物腰を充分観察し、自分の望んでいることに関して、精度の高い情報を持っている人かどうか、考える。
たとえば、電車のスケジュールを聞くには、駅員に聞くのが当たり前。だが、日本のように仕事に忠実な人は少ないから、人によっていろんな応対になる。その人が信用できるか、聞くなら大勢いる駅員の誰に聞くのか、瞬時に判断せねばならない。
しかしもっと大事なことは、自身の人相風体物腰。
相手は、特にプロのサービス業従事者は、一目で相手を見抜く。こちらの分相応のことしか教えてくれないから、それ以上を望むなら、自分を磨かねばならない。
だから一人旅は、自分を育てる素晴らしい場所なのだ。
写真は、ガイドブックには数行しか出ていなかった、セント・ディヴィッズ大聖堂内部。カーディフから片道3時間かけて日帰りしたが、その労が充分報われた。
カナダの魅力
何回見ても、ナイアガラ瀑布はすごい。自然の偉大さに、畏怖の念がわく。
カナダは、基本的には大自然を感じる国だと思う。
ナイヤガラ瀑布だけでなく、ロッキーの山々や、オーロラ観照、などなど。
また白熊をはじめ、北の大地に生きる、さまざまな動物の生態観察。そういうものがカナダ観光の目玉になっている。
しかし、もう一歩踏み込むと、その大自然の中で生き抜くために、どの民族であれ、助け合って暮らす国でもある。ルーツはさまざまでも、各々の文化を背負った人々が、協力し合わないと、北の地で生きていけない。
アメリカの「人種のるつぼ」に対し、カナダは「人種のモザイク」といわれるのは、そういうことだ。
そして彼らは実に人懐っこい。素朴で質素。人を傷つけない。カナダの大地のようにおおらか。細かいことにこだわらない。したがって、サービスなどは少々時間がかかる。頼まれたことを忘れたり。
でも私は、「カナダの大自然」と同じくらい、その大自然の中に生きる、カナダの「人々」に魅力を感じる。
誰もが少年・少女になれた!
カナダ東部の旅行から戻った。
この旅行は2年前から計画し、ようやく実現した。
ご参加者は同窓生と母校の教員、合わせて12名。母校設立の基金を集め、そのための宣教師を送ってくれた教会と、先輩の翻訳した「赤毛のアン」の舞台、プリンスエドワード島を訪ねる旅行だった。
2年間の準備と、この企画にかかわったすべての方々の思いが結晶し、行く先々でこれ以上ないと思われる天候に恵まれた。本当にこんな間のいいことあるんだなぁ。皆様ご堪能いただけたようだ。
企画者の冥利に尽きる。
しかし、いつも思うのだが、どんなにいい企画でも、乗ってくれる人がいなければどうにもならない。私のようないいかげんな者を信じ、お金を払ってくださる人がいて、初めて実現できるのだ。
どんなところに行くかは、写真やビデオを見せることは出来るが、そのとき空間を一緒にする人々の感性・心によって、旅の雰囲気はぜんぜん違ってしまう。まさに「旅は道連れ」なのだ!
明治時代に極東に派遣された宣教師の学校創立への情熱、その宣教師のお墓を探すべく、縁もゆかりもないのに、このプロジェクトに巻き込まれた平成の牧師の熱意。
そんな物語が、誰もを素直にさせ、齢60、70を数える人々が熱くなってしまった。
ファインダーから除く皆様の表情は、50年前。本当に少年・少女に戻っていただけた数日だった。
12時間の時差を解消すべく、BSの音楽番組を聴き、トロントの同窓生が作ってくれたクッキーを食べながら、白ワインを飲む朝。
納得いく一仕事を終えた、至福の時だ。
ご参加の皆様、トロントの同窓生の皆様、そして教会の牧師先生、みんなみんなありがとう。
出発!
ウェールズや最新のロンドン情報など、いっぱい書きたいと思っているうちに、次の出発だ。
今度は仕事でカナダへ。
充分な準備の上で出発。仕事はそうでなければいけないが、ドキドキ感が欠けると物足りない。いやいや、出かければきっと予期せぬことが起きるだろう。そのときどう対処するか、自分が問われる。
では、戻ったらまたよろしく。
SPRING LAMB
ウェールズに行った理由は、まだ行ったことなかったから。
ここさえ制覇すれば、イギリスはほぼ全域廻ったことになる。
そして、私の大好きなケルトの土地だから。
しかし一番の目的は、SPRING LAMB!
春は子羊が生まれる時。かわいそうに、羊はあまりにも美味しく生まれてしまうから、世界中の人たちに愛され、食べられてしまうのだ。日本の羊と違って、そして日本で人気のニュージーランドの羊とも違って、イギリスの羊は、本当に臭いが無い。その中でも特にウェールズが美味しい、とされているのだ。
食べないわけにはいかない!
ロンドンで滞在した友人宅でも、私のために子羊をローストしてくれた。それはそれで美味しかったのだが、友人曰く、ウェールズはもっと美味しいはず、と。
期待に胸弾ませ、毎夜LAMBを求めて、街をさまよった。
カーディフの観光事務所や、ホテルのフロントで教えてもらったレストランに行った。そこそこではあるが、本当においしいのに当たらない。
一方、市内のマーケットでは、実においしそうな肉が売っているのだ。
絶対どこかに、私の求めるLAMBがあるはずだ。
そこで気がついた。そうか、相手は私の人相・風体から、一回の食事に支払える金額を想定し、その範囲内のレストランしか教えてくれないのでは?
今まで教えてもらったのは、パブ隣接レストランだ。つまり、パブ・レベルでは、おいしいものがないのだ。
最後の晩、覚悟して、カーディフで一番と思えるホテルに行った。そこで出会った子羊がこれ。
子羊の肉を岩塩でくるみ、オーブンで焼いたもの。
こちらは食した後。
ロンドンはいつも東京の2年前
ようやくここに戻ってこれた。
今回はロンドンとウェールズに行ってきた。
いつもの通りの一人旅。全て公共の乗り物を利用して移動する。
ウェールズ内の移動は、レンタカーしたいところだが、一人でレンタカーは不経済で危険。
しかしこういう旅行は一度したらやめられない。気ままで気楽。独りが一番気が合う。
さて何故この地を選んだか?
ロンドンには、2年に一度、様子を見に行くことにしている。ロンドンはいつも東京の2年aheadだから、2年後の東京を予見できる。これは経験的にそうなのだ。
バブルの崩壊も今日の経済回復も、ロンドンで感じた。
92年にロンドンに行ったとき、ナイツブリッジ(東京の銀座4丁目にあたる)の1階店舗は、軒並みテナントがつかない状態だった。東京にも同じことが起こるのでは、と震えたのを覚えている。
今振り返れば、このときすでにバブル崩壊は始まっていたのだが、気分は「ちょっと一服」、「な~に、すぐに持ち直す」と、現実を見つめる力が欠けていた。その後94年頃からいわゆるドーナツ化現象が起こり、高すぎる地価を嫌った企業の、都心から郊外への移転が相次ぐ。不況の波は都心から地方へ。そして97年・98年の山一證券、拓銀、長銀の経営破綻へと、のっぴきならない状況に陥った。
一昨年ロンドンに行った時は、好景気が始まっていた。きっと東京もこうなるに違いないと、希望を持ったものだ。
そして今日、日本経済は反転し、一部にはミニバブルが起きているといわれている。実際、東京中心では実感できる。手元に現金は残らないまでも。
しからば2年後の東京は?
いまのロンドンから推測すれば、私の八卦では、「強烈なインフレと円高」なのだが。信じていただけるだろうか?
新緑とspring lambのウェールズについては、また明日。
トンネルズ
カンボジア、アンコールワットで名高いシェムリアップに、アキラの地雷博物館がある。
博物館といっても、掘っ立て小屋だ。
館長アキ・ラさんが掘り起こした無数の地雷が、無造作に積んである。人々に地雷の悲惨さ、平和への願いを伝えたいという思いで、私費を投じ、この博物館を始めた。
アキ・ラさんは村人の要請を受け、あちこちで地雷除去に励む。一方、10人以上の孤児を引き取り、ここで集団生活をしている。
この豚は、地雷博物館にいた。
今はみんなの残飯整理のため。近い将来、おそらくみんなの食料となるのだろう。
自分の運命を知ってか知らずか、暑さ負けして、人ごみの中でのびていた。あまりに地面と同化してたので、踏まれてキーとひと鳴き。それでも動かず、寝続ける。
アキラさんの数奇な運命については、また書く。
いままでで一番おいしい子羊料理
カナダというと、美味しいものがなさそうだ。
ところがあにはからんや!バンクーバーで、私は今までで一番おいしい、子羊料理を味わった。
バンクーバーのあるブリティッシュ・コロンビア州には、パシフィックノースウエスト料理といわれるジャンルがある。
素材を大事に、有機野菜や、有機野菜で育てた肉を多く使っているのが特徴。また量もほどほど。日本人にぴったりだ。
この料理はメトロポリタンホテル内のDIVAというレストランで遭遇した。
DIVAのサイトはこちら http://www.metropolitan.com/diva/about_diva.htm
陽光眩しいイギリス
イギリスといえば変わりやすいお天気、曇天に雨、の印象が強いだろう。
この写真はイングランドの西端、コーンウォール地方のセント・アイヴスで撮った。
コーンウォール地方の観光拠点ペンザンスから、バスで40分ほど。ペンザンスは、イングランドのリビエラと呼ばれる。
セント・アイヴスは、芸術家たちが好んで住んだ街として有名だ。
それを象徴するような白亜の美術館、テート・セント・アイヴスがある。ロンドンのテート・ギャラリーの分館として開かれた。
陶芸家バーナード・リーチ、画家ベン・ニコルソン、彫刻家バーバラ・ヘップワースなど、セント・アイヴスを活動の場としたアーティストの作品が展示されている。
ペンザンス近郊には、見所が多い。モン・サン・ミッシェルのイギリス版 セント・マイケルズ・マウント、イングランド最西端 ランズ・エンド、崖の上のミナック野外劇場などだ。ミナック野外劇場は、イギリス人女性が一人で、50年以上かけて岩を積み上げて造った。夏には、演劇や音楽の演奏会などが行われる。
いずれもペンザンスからバスで行ける。
それぞれの景勝地については、また紹介しよう。
この辺りには、何故か日本人観光客はいない。























































































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